氷室神社について

伝説と歴史の社

神戸夢野
氷室神社

えんむすびの神

市杵島姫命
れんあいべんてん

神戸の伏見さん

京都伏見稲荷大社勧請負
氷室稲荷神社

 

御神徳

 

  • 縁結び
  • 就職祈願
  • 交通安全
  • 子宝安産
  • 厄除け
  • 病気平癒
  • 家内安全
  • 地鎮祭
  • 商売繁盛
  • 健康長寿
  • 開運招福
  • 家清祓
  • 入試合格
  • 芸能上達
  • 出世成功
  • 会社清祓等

 

 

御祭神

 

  • 大國主大神
  • 仁徳天皇
  • 市杵島姫命(れんあいべんてん)
  • 宇迦之御魂神(氷室稲荷神社)

 

 

御祭礼

 

  • 6月1日11時 例大祭
  • 10月1日11時 秋祭
  • 初午の日(2月)11時 初午祭(氷室稲荷神社)

ご由緒・歴史

HISTORY

 

創立年月日は詳らかではないが、神社の鎮座する夢野の地は元来「禁野」といい、昔、高貴な方の墓所・皇室の御料地としての殺生禁断の地でした。仲哀天皇の時代(西暦200年頃)に麛坂皇子・忍熊皇子は、ご自分が位に継ぐことをお考えになり、この地で狩りを行って占いました。しかし、1日中何も捕まえることができず麛坂皇子は猪に襲われて亡くなってしまいました。そしてこの地に墳墓が築かれました。

仁徳天皇の時代(西暦374年)に、兄の額田大中彦皇子がこの地に狩りに来られたときに、闘鶏稲置大山主に尋ねて氷室があるのを見つけられ、その氷室に納められた水を毎年、天皇に献上されるようになりました。

神社の昔の境内地で現在氷室公園周辺に麛坂皇子の墳墓といわれる「御塚」がありました。その上には額田大中彦皇子をお祀りする摂社古殿神社が鎮座していました。氷室神社本殿には、仁徳天皇が祀られています。闘鶏稲置大山主は今の村長にあたり、氷室神社社家小林氏の先祖になります。

平安時代、平清盛が兵庫七辨天の一社として広島厳島神社より市杵島姫命(れんあいべんてん)を奉斎しました。福原遷都時に、神社付近には清盛の弟の教盛の別邸があり、後白河法皇がこの邸内に幽閉されていました。源平合戦のときには、平教経の陣所があり、氷室神社からは、お豊富な清水がわき「陣場の井」と呼ばれていました。

合戦前、平通盛と妻小宰相がこの地で今生の名残を惜しみました。(平家物語)

神社の西には、源義経が駆け下った鵯越の逆落としの地があります。

◆鎌倉時代末期 湊川合戦時、楠木正成公、家来を連れて小林氏を訪れ、会下山に砦を築いた。
◆明治8年 京都伏見稲荷大社より稲荷神社を勧請した。

<氷室の旧跡>冬の氷を夏まで貯えておくために造った室である。